家の三女のマル子紹介2007/09/13

家の三女

犬種ーマルチーズ

性別ーメス

年齢ー7歳半

名前はマル子

 丈夫で良く歩きます。今日は夜の散歩がてらオリンピック(家からの距離は往復約6Km)に買い物に行ってきました。  外に散歩に出たら、人に対しても、同種に対しても吠えることは絶対しない娘です。今後ともこのブログたびたび登場する機会もありますのでよろしくお願いします。

メキシコマラソンツアー①2007/09/16

メキシコマラソンのゴール(ソカロ広場)筆者

 世界の二大ピラミット(エジプト・メキシコ)といわれるメキシコの遺跡を見たく、メキシコマラソンの走りも兼ねて旅行に行きました。  もう一つのピラミットエジプトは、以前に見てきましたので、ふたつ目のピラミットの今回は、非常に楽しみな旅行でした。  旅行の内容は、②以降に記載します。今回は、メキシコシティマラソンを走って感想を少々・・・・

メキシコシティマラソン(5KM、ハーフ、フル)8月26日開催

参加人数約1万2千でフル(42.195KM)はエントリ約8200人(内約6500人時間内完走)

コース メキシコシティの中心歴史地区のソカロ広場をスタート・ゴールでシティの有名地区を走るコースで組まれていました。

制限時間 6時間でしたが、道路は前面通行止めで行はれましたが、通行止めを随時解除する時間があり、6時間をイーブンで走る時間よりもだいぶ早く解除され、6時間近くで走るランナーは、交通事情も大変だったようです。

エードは、2.5KMごとに水(小さな袋詰めパック) 5KMごとにプラススポーツ飲料 食べ物は、途中で棒つきのぺろぺろ飴を配っていた。

 私は、フルを走りました。スタート時間は女性が15分前にスタート、男性は7時にスタートでしたが、海外は少々アバウトなので2分前位にスタート合図がなりました。  10KMが1時間3分(スタート地点までに3分かかっている)通過、今回は4時間半を切る位が目標でしたので、もう少し走るスピ-ドを挙げようか思ったのですが、身体は疲れていないのに足が上がらない、高地(メキシコシティは 2250Mの高さなのです。平地よりも25%薄い空気といわれています)の影響なのかと感じました。  走る前は、こんなに影響があるとは思っていませんでしたが、有名選手が高地トレーニングをする意味が分かった気がしました。シティの人達は当然平気で走っていました。  特に20KM(チャプルテペック公園内)から30KMが非常に苦しく非常にゆっくりの走りとなりましたが、35KM以降はこの薄い空気にも慣れたのか走りも楽 になり、上のゴールの写真となりました。  写真のタイムはグロスタイム(スタートの合図からゴールまで)ネットタイム(スタート地点からゴール地点まで)4時間46分48秒でした。フルマラソン160回目の完走でした。  旅行の話は以降です。

メキシコマラソンツアー② メキシコの歴史と概要2007/09/22

メキシコシティの中心 歴史地区ソカロ広場

(メキシコの歴史と概要)

・国土面積 現在は、日本の約3倍である。   1847年米国から戦争をふっかけられ負けるその代償としてカリホルニャ・ニューメキシコ・テキサス3州を1500万㌦で売る羽目に(現在のメキシコの2倍の土地、後でわかるが資源が豊富であった。)

・日本との関わり 支倉常長(伊達藩)ヨーロッパに行くための中継地でした(上陸地は現在のアカプルコとか、アカプルコー仙台は姉妹都市になっている)

・アメリカ大陸での日本からの移民受け入れの最初の国、ただ移民数約3千人と少ないが大多数が成功を収めているとのことでした。日本人は、勤 勉と見られており、現在の日本との関係も良好

・1521年から約300年間スペインの植民地、ヨーロッパで植民地支配した他の国は、現地の人達とあまり融合しなかったが、スペイン人はそうではなく 盛んに混血の人達を作ったとの事

・豊かな石油資源と観光が外貨の稼ぎがしら、最近は石油資源を使った工業化も盛んになっている。

・メキシコシティには、24Hのコンビニ(日本からはセブンイレブンあり)にもありました。(ジュ-ス類、酒類、菓子類等がおもなものでした。ビール一缶が8ペソ(約90円位)でした。同じビールがカンクンでは13ペソです。)